コーナー名 正直者一家のイギリス生活録

 

. とってもやさしいインテリおばさんのお話

 

正直者がイギリスで暮らしていたとき、唯一家族ぐるみの付き合いをしたのが、Janおばさん一家です。

 

当時、正直者の会社の日本人家族は代々英会話を習っており、その先生がJanでした。

 

当然、英語がだめだった正直者一家も、皆と同じくJan先生に習うことにしました。

 

Janおばさんは、もともとは学校で音楽などを教えていた人で、大学も出ていてかなり教育のある人でした。

 

授業は週一回、おばさんの家で行われましたが、その家はとても古い家で、なんでもイギリスが世界の工場として君臨していた頃(1800年代)、針を作る工場として使われていたそうです!

 

おばさんの家にはRonさんという恋人(正式には籍を入れていないので、恋人なのだそうです)と居候の人(詳細不明)が住んでいました。

居候の人は、おばさんの家の一部屋を借り、時々食事もご馳走になっていました。

おばさんの話では「困っている人がいると、家に来てもらうの!」との事。もしかしたら、家賃もろくに取っていないのかもしれません。

 

正直者たちの英語はなかなか上達しませんでしたが、だんだんおばさんの家に行くのがとても楽しみになりました。 

なぜなら、おばさんがよく自慢の手料理を作ってくれたからです。

それらの料理はとても素朴な味付けのものでしたが、(オーブン料理がメインで鳥や、じゃがいもやニンジンなどの野菜を塩だけで味付けたものが多かったです)正直者たちにとっては、なんだかとてもなつかしい味がして、他のどんな高級料理よりも、おいしく感じられました。

 

デザートにはよくケーキを焼いてくれました。スボンジは日本のようにやわらかいものではなく、どちらかといえばざらざら、ごつごつとした感じでしたが、これも不思議なことにまた食べたい、と思うような味でした。

 

しばらくして、幸運にも正直者に待望の第一子が生まれることになり、英会話はしばらくお休みとなりました。

 

それまで、車もなく、運転もできない正直者の妻はJanおばさんの家にバスで通っていましたが、さすがにこれからは、乳飲み子を抱えてバスに乗り、子連れで授業を受けるわけには行きません。

 

なかばあきらめていると、ある日のことJanはいいました。 

 

「それだったら、なんの問題もないわ、これからは私があなたの家に行くことにしましょう。」 

 

それ以降、車の運転のできないおばさんは、くる日もくる日も、雨の日も、風の日も、みぞれの日も、遠い道のりを自転車に乗ってやってきてくれました。

 

赤ん坊をかかえての授業は、おしめ替え、授乳でしばしば中断となり、結局、正直者の妻の英語は全く上達しませんでした。 

 

それでも、正直者一家はJan先生から英語よりも、もっともっと大切なものを学んだような気がしたのでした。

 

 

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